「行ってみたい国、ある?」
そんな何気ない問いかけを受けた瞬間、ふと胸の奥がざわついた。日々の生活に追われて、もうそんなこと考える余裕すらなかった自分に気づく。けれど、確かに昔はあった。地図帳を広げて夢中になった場所。テレビの旅番組で見て「いつか行きたい」と口にした異国。あの頃、頭の中で何度も歩いたはずの風景が、まだ心のどこかに残っている。
たとえば、アイスランド。
空が一日中暗い「極夜」という時間の中、空いっぱいに広がるオーロラを見上げたい。
凍える空気、静まり返った世界、遠くで雪が軋む音。
言葉が通じなくても、自然の前ではみんな平等だ。
あの孤独で美しい世界の中に、一度でいいから身を置いてみたい。
あるいは、モロッコのマラケシュ。
迷路のようなスーク(市場)を、道に迷いながら歩く自分を想像する。
ミントティーを飲みながら、知らない人とテーブルを囲み、流れるようなアラビア語に耳を傾ける。
色とりどりの陶器、香辛料の香り、頭上にはきらきらと吊るされたランプ。
そこにいるだけで、日常の価値観が壊れていくような気がする。
誰にでも、「人生で一度は行ってみたい国」がある。
それは観光地として人気だからとか、映える写真が撮れるからではない。
もっと根本的な、感情の奥底にある「憧れ」に近いものだ。
ある人はフランスに行きたいと言った。
エッフェル塔を見たいから?いや、それもあるけれど「フランス人の空気感」に惹かれるらしい。
食事に時間をかけること、ちょっと皮肉っぽく生きること、自分の“好き”にまっすぐであること。
「日本ではなかなかそういうふうに生きられないから」と彼は言った。
またある人は、「インド」と答えた。
理由を聞くと「自分の価値観が壊されそうで怖いけど、だからこそ行ってみたい」。
貧困、混沌、宗教、熱気、嘘も本音もごちゃ混ぜになった世界。
すべてが自分と違う場所に立ってみたいと願う人もいる。
不思議だなと思う。
ほとんどの人が、「すでに行ったことのある国」ではなく、「まだ行ったことのない国」を挙げるのだ。
人は、知らないものに惹かれる。
触れたことのない文化に自分をぶつけたくなる。
「こういう自分じゃなきゃいけない」と思い込んでいた枠の外に、もう一人の自分がいる気がするから。
ちなみに、僕がいま一番行きたいのは「ジョージア」だ。
旧グルジアと呼ばれていた国。コーカサス山脈のふもと。
ヨーロッパでもアジアでもない、そのあいまいさに惹かれる。
文化も食も人柄も、どこか緩やかで、それが今の自分にはちょうどよさそうだと思った。
ワイン発祥の地といわれ、地元の人は昼からワインを飲んで、陽気に語り合う。
インフラは整っていないけれど、時間はゆっくり流れていて、人との距離が近い。
そういう暮らしの中に、「自分が見失っていた何か」がある気がするのだ。
でも、現実はというと──
お金がない。時間がない。英語も不安。
旅慣れていない自分が、海外に一人で行く勇気がない。
だからいつのまにか、「行きたい国」だったはずの場所が、
「行けたらいいな」のまま記憶の奥にしまい込まれていった。
でも最近になって気づいた。
「いつか」は、永遠に来ない。
「人生で一度だけ」は、今じゃないとダメなのかもしれない。
夢は見ているだけでは叶わない。
現実にしてこそ、自分の一部になる。
もちろん、全員がすぐに飛行機に乗れるわけじゃない。
でも、航空券を調べてみるとか、現地の文化を本で読んでみるとか、
その国に一歩近づく行動をとってみるだけで、心の風通しがよくなる。
誰かが言っていた。
「人が“旅に出たい”と思うときは、“今の場所から少し離れたい”ときだ」と。
日々の忙しさ、人間関係、やりきれない現実。
それらすべてから、一瞬だけでも逃げたいと思ったとき、人は遠い国を夢見る。
だから、この問いを今、あなたにもう一度投げかけたい。
「人生で一度でいいから行ってみたい国って、どこですか?」
それはあなた自身が、本当に“何を求めているか”を教えてくれる。
夢のままにするのも、現実に変えるのも、選ぶのはいつだって自分だ。