別に嫌いじゃない。でも会うと疲れる人がいる
「別に嫌いじゃないけど、会いたくない人」
──その違和感、ちゃんと理由がある

嫌いじゃないのに、疲れる人がいる
「あの人、嫌いじゃないんだけど…なんかしんどい」
「会っても別に悪いことは言われない。でも帰り道、なぜかどっと疲れる」
こんな“モヤモヤ人間”が、周りにいない?
それ、あなただけじゃない。
実は今、“関係のしんどさ”が可視化されないまま、心を蝕んでる人が多い。
表面的には「いい人」なのがまた厄介
・やたら距離感が近い
・テンションを合わせないといけない
・“察して”圧がすごい
・愚痴ばっかりだけど、こっちが言うと引かれる
・マウントではないけど、なぜか下に見られてる感
どれも決定的に悪いわけじゃない。
でも、無意識のうちに気を遣いすぎて、心がすり減る。
それ、"情緒的ブラック労働"かもしれない
本来、労働って職場だけの話のはず。
でも人間関係でも、「情緒」を過剰に消費させてくる人っている。
・相手の機嫌を読む
・空気を察して盛り上げ役をやる
・否定されないよう言葉を選ぶ
……こういうの、**無料でやってる“感情労働”**なんだよね。
無意識に“自分役”をやらされている感
「●●ちゃんって、こういうの好きだよね?」
「やっぱ盛り上げるのは、あなたでしょ〜!」
「真面目すぎるよ〜w」
──こういう“キャラ付け”をされたままの人間関係は、
“自分”を演じることに疲れてくる。
本当の自分ではなく、「期待されている自分」で会っているだけ。
「合わない人を避けること」は、自分を守る行為
ここ大事。
逃げてるんじゃなくて、守ってる。
嫌いじゃなくても、「距離を取る理由」はちゃんとある。
それを**“わがまま”や“冷たい”って思い込まされてきた**のが、これまでの社会。
でも、もう我慢しなくていい。
終わりに──「いい人」と「相性がいい人」は違う
相手が悪い人じゃなくても、あなたの心に負担があるなら、
それは立派な“関係の見直しポイント”。
・LINEの返信を遅らせていい
・会う頻度を減らしていい
・物理的に距離を置いていい
「いい人と仲良くしなきゃ」の呪いから、そろそろ抜けよう。